旧小学校に医療と介護、コミュニティスペースを集約する全国初のプロジェクト

2018.6.11

千葉県南房総市千倉町に、「七浦(ななうら)」という地区がある。明治期に生まれた地名だが1954年に町村合併で廃止となって以降、その名は郵便局とバス停、小学校に残すのみ。そして2014年3月、少子化によって七浦小学校が廃校となった。地域に親しまれた場所と名を失う出来事を、住民はどのような思いで見つめていたのだろう。

しかし廃校から約3年の月日が経った2017年11月。旧七浦小学校が地域住民のために甦った。

廃校を医療や介護、地元住民のコミュニティスペースとして利用する全国初の事業を牽引するのは、2008年から七浦診療所を営む院長の田中かつらさん。

田中さんは、11年前に東京からこの地へ移住した医師である。どのようにして地域住民と協働する廃校利活用事業「七浦プロジェクト」が誕生したのだろうか。 旧七浦小学校の現在とプロジェクトの成り立ち、そして未来について田中さんに伺った。

地域住民のいのちと暮らしを守る機能が母校に集約

旧七浦小学校に足を踏み入れると、そこは木のぬくもりに包まれた何ともスタイリッシュで温かい空間。実は筆者は改修前の校舎に入ったことがあるのだが、これほどまでに以前の雰囲気を保ちつつ、医療施設に変身した内装を見て驚きを隠せなかった。
まずは、施設の全容についてお聞きしてみよう。

「建物は大きく校庭から見て左側が診療棟、右側が生活棟と分かれていまして、診療棟の中に『七浦診療所』と薬局が移転しました。居宅介護支援を行うケアマネージャーの部屋も隣接しています。生活棟は『NPO法人ななうら』が運営しており、主に生活用品の販売や温かいご飯とお惣菜をお出ししています。図書館、また子どもの遊び場や多目的室など様々な場所があり、地域住民の方がゆっくりできるスペースですね。

旧七浦小学校

オープンしたといってもまだ第一段階でして、これから診療棟の隣に病気になった子を預かる病児保育『そらまめ』の準備を進め、診療棟の裏手にある校舎が介護棟となる予定です。私としては今すぐにでも取りかかりたい気持ちですが(笑)、ようやく第一段階が完成したところなので、新しい環境での運営が落ち着いてから徐々に進めていきたいと思っています。」

医療と生活。ふと考えれば、このどちらも私たちの暮らしに欠かせないものである。逆にいえば、いかに田舎で娯楽がなかろうが、この2つさえあれば大自然に囲まれながら何の心配もなく暮らせる。そんな大事な機能が、七浦地区住民みんなが通った母校に集約されたのである。田中さんに導かれて施設を見学するうちに、この地の住民でもないのに安心感がみなぎってきた。

奄美大島での地域医療を経た、七浦との出会い

それではどのようにして、この施設が誕生したのだろうか。この成り立ちを知るには、田中さんが七浦地区へ移住したところにまで遡ってみる必要がある。

「東京の病院で勤務していた時に、奄美大島で専門医師(神経内科)が足りていないということを聞いて、月に一度お手伝いに行っていました。病院が少ない離島ですから、外来以外にも往診で患者さんの自宅に直接伺って診察もしていたんです。この日々がとても充実していて、もともと南国の風土も好きだったのですが、地域の人と肌で触れ合うことに喜びを覚えていました。

生活棟の中にあるイートインスペース
生活棟の中にあるイートインスペース

そんな日々の中で、東京以外に移住してもっと地域医療に携わりたいなぁという思いが徐々に芽生えていったんだと思います。一度は奄美大島に住もうと考えたこともあったのですが、夫のライブが本州に多く断念。そんな時に、千倉町で開催されているサンバフェスティバルに夫が出演することになり、七浦と出会ったんです。」

現在でも島や地方での医師不足は日本全体の切実な課題となっているが、田中さんは七浦地区に移住する前に10年以上もの期間、奄美大島の地域医療に関わってきた。地域医療とは、医療を通じてより良い地域社会をつくる活動である。この経験が、七浦診療所設立の土台となっていることはいうまでもないだろう。

そして田中さんの夫は、日本屈指のジャズパーカッショニストで作曲家の田中倫明さん。少しジャズが好きな人なら誰でも知っているような有名人だ。田中倫明さんは、七浦地区への移住以降、半農半奏(音楽と農的生活を両立)の暮らしを実現しながら、妻田中かつらさんの活動を陰ながらサポートしている。

地元住民の声を受け、移住して2年目に七浦診療所を開業

田中倫明さんの音楽イベントへの参加をきっかけとして次々と人間関係が広がり、偶然土地も見つかったことからあっという間に移住を完了した田中夫妻。しかし、当初田中さんは七浦地区で診療所を開業するとは思ってもみなかったそうだ。

「地域医療といっても、いつか南房総の病院へ勤務しようかとぼんやり考えていたぐらいで、最初の1年目は七浦と八王子の病院を行ったり来たりする生活をしていました。近隣のおばあちゃんたちから、『先生なら七浦で開業してよぉ〜』だなんてお声をいただいてはおりましたが、その当時は楽しい会話の流れぐらいにしか捉えておらず、さほど本気で考えてはいませんでした。

お話をうかがった田中さん

しかし、この地域の医療を担われていた先生が少し前に亡くなって医院が閉院していたんですね。閉院した医院を取り壊す前のお別れイベントに参加することになり、そこで医院のご子息から、ここで診療所をやらないかというお話をいただくことになりました。じっくり悩みましたが、そこまで地元の方が必要としてくださるならば…。急ピッチで診療所の建設を行って、2008年に『七浦診療所』を開くことになりました。」

高齢化率45%以上の地域における総合的な地域医療の必要性

田中さんの人柄や診療の評判が広がり、七浦診療所の待合室は開設後まもなくいっぱいになった。しかし、その一方で、この地域が抱える課題が決して医療だけではないことに田中さんは気づきはじめていた。

七浦プロジェクト第二段階目の改修で介護棟となる予定の校舎外観
七浦プロジェクト第二段階目の改修で介護棟となる予定の校舎外観

「診療所、または訪問診療にておじいちゃんおばあちゃんの生活を見聞きするにつれ、医療以外にも困難を抱えている方が多いことを切実に感じるようになりました。街の商店がほとんど閉まっているため、食品や生活用品を近場で揃えることができないのです。かといって中心街に出るための路線バスは1時間に1本で、高い段差のステップが利用を躊躇させます。親戚や近所の人に連れていってもらいながら、スーパーへの買い物は1日がかりとなっていました。

問題は買い物だけではありません。生活には炊事洗濯、そうじ、家の周りの草刈りなど、身体を動かす作業をともないます。介護保険を受けている方は保険を利用して様々なサービスを受けることができますが、介護保険を利用するまでではない比較的元気なおじいちゃんおばあちゃんは、自分の力で何でもやらねばなりません。年々足腰が悪くなっていくのをみては、医療以外にも総合的な生活支援が必要だと思っていました。」

七浦地区で有名な露地花の栽培
七浦地区の白間津は露地花の栽培で知られている 写真提供:南房総市

七浦地区は、伝統的な露地花の栽培やアワビやサザエの磯根漁業など、房州の文化を色濃く今に伝える土地である。しかし、そこで活躍している人のほとんどは65歳を超える高齢者で、高齢化率は45%を超えている。人口減少から商店は軒並み閉まり、街やコミュニティの機能が急速に弱まりつつあった。

夫の一言から「七浦プロジェクト」の構想を思い描く

七浦小学校が廃校になるというニュースが地区全体に流れたのは、七浦診療所ができて5年が経ち、まさに田中さんが上述した地域医療のあり方を模索していた時のことだった。

「七浦小学校は2003年に改修されて比較的新しい施設だったので、廃校後はスポーツ施設や合宿所になるという話も聞いていました。しかし、七浦という名がついた数少ない建物であり、地元の人が使えないのは残念だなぁという思いが先立ちましたね。私もここの住民として利用したかったんです。そんな時に夫がポロッと『診療所を七浦小学校に移転したら?』と言ったんです。

診療所の中の様子
診療棟と生活棟をつなげる通路

確かに、診療所はそもそも建物を小さく設計していたこともあって、待合室が混雑して利用者の方に迷惑がかかっている状況。診療所だけの移転だと校舎は広すぎますが、小学校という地区の中心にある建物であれば、これまで考えてきた生活支援やコミュニティの場が実現できるかもしれません。夫の一言をきっかけとして、私なりの考えをまとめ、地区の総会で提案すると、全会一致で賛成していただけることになりました。」

地元の人が住みやすければ、人は自然と集まってくる

こうして動き出したのが、廃校となる七浦小学校全体を利用して医療や介護、生活支援やコミュニティスペースとする「七浦プロジェクト」である。2014年に七浦小学校が廃校になる時と同じくして、七浦地区住民の生活支援をおこなう「NPO法人ななうら」が立ち上がり、理事長には七浦地区の連合会長が就任した。

その後、学校を医療施設として利用する前例のない改修にあたって幾多の関門をクリアすること、2017年11月にスタートしたのが七浦プロジェクトの第一段階。 プロジェクトの第二段階では、介護棟が整備されるほか、南房総市初となる病児保育の受け入れも始まる予定だ。

旧七浦小学校の様子

そもそも海と里山がコンパクトにまとまり、伝統と自然豊かな七浦地区。高齢者向けの医療や共働きの子育て世代をサポートする病児保育も充実するとあれば、今後移住希望者が続出しそうな予感がする。最後に、七浦プロジェクトの今後について田中さんに聞いてみた。

「まだスタートしたばかりで先々のことはわかりませんが、場所は整ったのでこれから地元の人に大いに利用してもらいたいですね。移住者が増えるにこしたことはありませんが、何事もそれを目的にしてはいけないと思うんです。私も移住組の1人として、地元の人が楽しんでいるところをみて、面白そうだなぁと思って住みはじめました。地元の人が住みやすいということは、同時に都会からきた人にとっても住みやすいということ。これからもずっと七浦が元気でいてくれるように、地元住民と一緒に七浦プロジェクトの運営を進めていきたいと思います。」

診療棟、生活棟ともに大きな薪ストーブが設置されている
診療棟、生活棟ともに大きな薪ストーブが設置されている

医療や生活というのは、地域住民のいのちや暮らしに直接関わることである。その不可欠の機能が地域のどこからでも歩ける距離にある小学校に集約されるというのは、前例がないとはいえ実はとてもシンプルで理にかなった発想である。旧七浦小学校の活用にあたって七浦プロジェクトが生まれたことには、田中さんが常に地域住民目線で物事を考え、地域住民に寄り添って活動していることに尽きると思う。

高齢化率もさることながら、小学校が廃校となるほどに少子化が進み、人口減少には待ったなしの状況という七浦地区。そんな時、観光で人を呼ぼう、移住者を増やそうと人は考えがちだが、地域が住みやすければ、他のことはあとからついてくるという田中さんが貫く哲学から学ぶことは多い。七浦プロジェクトを先例として、地域の母校が地域のために再び利用される事例がますます増えていくことを願う。