堀江区長率いる山チームに密着
千倉漁港の近くにあるRestaurant & Bar SAYAN前から、堀江区長と松永医院の院長でもある松永先生の案内で歩を進めます。下見の時、山歩きが結構大変だったとの前情報を耳にしていたので、ちょっとどきどき。
平舘の宿といえばここ!「銀鱗荘ことぶき」
山歩きをメインとする「山チーム」ですが、山までの通り道では、街の方にもお話を伺いました。「銀鱗荘ことぶき」で対応してくれた主人は、あの高家(たかべ)神社の包丁人を務めている1人。料理の祖神を祀る高家神社は、庖丁とまな箸を使って真鯛などの素材に手を触れることなく調理する、「包丁式」を行っている神社。高家神社の包丁人は3人。その1人が、この平舘にある宿、銀鱗荘ことぶきの主人だったのです。「ここの寿司は天下一品!」と言う堀江区長。いつか私も食べてみたいなぁ…。
創業120年の呉服屋さん「堀江呉服店」
店主の堀江さんによると、昔は裏通りから大通り沿いに建つ呉服店へと向かう路地に、生産から販売までを行っていた呉服店の染物工場があったそうです。今は倉庫になっていて、藍瓶が転がっているくらいしか染物工場の名残は残っていないとのこと。残念!
それでも、元染色工場跡から大通りに面した呉服店へと続く路地は、石垣や蔵の壁がいい味を醸し出していて、歴史を感じる魅力的な通りでした。
五穀豊穣・商売繁盛の神様「平舘稲荷神社」
平舘稲荷神社には、もとは京都の伏見稲荷より関東の笠間稲荷を経由して分霊された五穀豊穣・商売繁盛の神が祭られています。
初牛(2月の最初の午の日)の前日には、宵宮祭として盛大に祭礼が行われ、外れ無しの100円くじは6500~7000本が完売するとのこと。景品は、ティッシュやジュースもあれば、自転車もあるそうです!
「雨乞いの塚」とも呼ばれている「平舘稲荷山」へ
いよいよ山道だ! 平舘稲荷神社の奥から続く山道を、一列に並び、登りやすいように張られたロープをつかみながら、雨上がりで滑りやすくなっている斜面を登って行きます。途中見えた町の景色に癒されつつも、滑らないように気をつけながら更に上へ。
急勾配の階段を登った先には、美しい海岸線と山並み、町と開けた田園風景が待っていました! 平舘地区を一望できる、とっておきの場所なのです。
民話の里「名戸川原(なづがっぱら)」
平舘地区の山のふもとに広がる田園地帯は名戸川原(なづがっぱら)と呼ばれ、名戸川原や、この地に点在する奇石を題材とした民話が伝わっています。
名戸川原を題材とした民話「名戸川原物語」は、雷神が大暴れして人が住めなかったこの場所で、神様や能楽を演じる人たちが色々な方法で雷神を鎮めようと試みるお話で、紙芝居としても地域に根付いています。
名戸川原の見どころには、平舘区会計を務める鈴木さんお手製の看板が立っているので、お見逃しなく!
「神楽石(かぐらいし)」「礫石(つぶていし)」「弘法の井戸」
神楽石は、能を演じていた獅子と蝦蟇(がま)が雷神に石にされてしまったもの。実際に口を開けて助けを求めているような表情が神楽石から読み取れます。
礫石は、鎌倉時代に安房國朝夷(あわのくにあさひな)の住人が朝夷山(あせーなやま)から投げ飛ばしたものと言われている石。神楽石のすぐ近くにあります。
昔は家の井戸水がしょっぱかったので、お茶をたてるときは山裾にある弘法の井戸水を使っていたそうです。
館山へと続く平舘古道上にある「名戸川原の滝」へ
名戸川原の次は、猪よけの柵を越えて山に入り、滝を目指して歩きます。山から下りてくる小さな滝の横には、ちゃんとお手製看板が立っていました。先へ進むと、平舘三番堰(せき)があり、この場所から朝日が見られるとか。
「この道の整備を手伝ってくれる人がいたら有難い」と口にする区長。「金はないけど、猪肉はある」。区長は毎朝12カ所ほどにしかけられた罠の見回りをしているのです。「古道開拓ツアーはどう?」「区長と罠の見回りツアー、猪がかかってたらそのままBBQが出来るとか!?」参加者の間で、スタンプラリーのアイデアが飛び交います。
足元を見れば、どんぐりがたくさん。これを食べているから、「平舘の猪はおいしい」と言われているそうです。山で採れた猪をすぐに海側へと運び、油で包丁が切れなくなるから水を流しながら解体するのだとか。山から降りてきたら、名戸川原から海の方向にうっすらと虹のカケラが見えました!
松永先生が15年前に作った「デイサービスセンター あそぼ」
晴れ間が見えて美しい名戸川原を気持ちよく歩きながら、公園を通って「デイサービスセンターあそぼ」に到着。食にこだわり、30年以上レストランを経営していたシェフをスカウト。冷凍食品を使わない、手作りの食事で食べる喜びと楽しさを提供しています。ここでのサービスにより、いのちを助けて元気にし、輝かせることを理念にしているそうです。80代が中心ですが、100歳以上の方も数名いるとか。
馬の背と呼ばれる鞍を付けた形の石がある「平舘天神社」と「かえる岩」
「雷神に首を切られた馬の首が、雷神の尾に食いついた」という馬が、馬の背と呼ばれる石になってここにあります。
昔は、子供が生まれたら必ずここにお参りに来ていたそうです。今でも、高校や大学受験の時に、学問の神様であるこの天神に足を運ぶ親の姿が見られるそうですよ。最近は、ここで花見をする人がいたり、七夕祭りを行ったりと、住民の憩いの場であることが伺えました。
毎年2月~5月の間、かえるの顔に見える「かえる岩」がある通りでは、地域のみなさんが、竹筒に花を入れて沿道を飾るのだそう。それって凄い労力だと思いますが、ぜひ見てみたい!
珍しい笑顔の「役の行者像」がある「永崎堂」
現在、徳蔵院がある役の行者像の脇にある階段を上った場所からは、平舘の田園風景を見渡すことができます。
堀江区長がある夏の朝にこの場所に立った際、霧の中に平舘天神社だけが浮かんでいる瞬間を目撃し、「これは素晴らしい!これが平舘だ!」と感動されたそうです。
永崎堂へ向かう途中、桜が植わっている前に、椅子が並んでいました。名戸川原を愛する人たちの手作り感があって、より一層ここからの景色が美しく感じられます。
平舘の守り神「徳蔵院」と、夏祭りに神輿が集まる「神明神社」
寛永19年(1642年)に当時の領主であった田中主殿頭定の寄進によって建てられたとされる徳蔵院は、静寂で落ち着いた雰囲気を漂わせています。
百万遍法要という行事では、役員が大数珠を回して区民の安泰・安全を祈願するそうです。どのくらいの大数珠なんだろう?
大通りに向かって歩くと、コンビニエンスストアの前に、ヤシの木が一本立っている特徴的な建物が。現在は個人宅ですが、以前はくじら会社の社宅だったそうです。家の横道を通り過ぎると神明神社へ。
毎年7月第2土・日曜に行われる夏祭りでは、ここに山車と神輿が集まり、区内を回るのだとか。平舘の人は祭り好きで、都会へと出て行った若者たちもこの時期になると帰ってくるそう。
堀江さんが区長になってから、ここで餅つき大会や盆踊りを行うようになりました。区長は、「皆のつながりを強くしたい」と言います。そして、子供会や青年会、民生委員会や福祉など、別々に行動していたことを、皆一緒にやる「区民の茶の間」を作りました。
「失っていくものもあるが、形あるものに残していきたい」と語る区長。その区長の想いは、名戸川原の民話を紙芝居にしたり、看板を立てたり、道の整備を行ったりと、少しづつ形あるものへと残されつつあります。